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「牛飼いの女房」 三宅静代

毎日新聞社主催 第14回毎日農業記録賞最優秀賞入賞作品より

昭和28年2月21日生まれ。両親が農業に取り組んでいる姿にうたれ、農に生きようと決意。4Hクラブ活動で知り合った貞行さんと結婚。3女の母。最近、牛肉の自由化に対抗しようと外国牛の導入を始め、肥育牛160頭(うち外国牛50頭)、米250アール、麦450アールなどで営農している。「農産物自由化の中で、不安はあるけど負けていられない。そんな気持ちで、充実した毎日を送っています」。

自ら求めた道だから

 人影のない朝もやの中を、牛舎へと車を走らせる。田園の緑の中にあるのが私の職場です。市街化が著しい筑紫野市の平坦部で、どこからも見える牛舎こそ、わが三宅牧場です。
 牛舎に着くと、すぐに牛を見て回る。150頭余りの牛1頭1頭の顔を見て声をかけることから、私の1日が始まります。異常なしと確認してから餌(えさ)をやり始めます。撹拌(かくはん)機で混ぜた飼料を車に積み、スコップで計りながら次々とまかなっていく作業に2時間かかります。あっと言う間に7時。3人の子供たちが学校に行く時間が近づき、あわてて家に逆戻りです。
 わずかな時間でも、中1、小4、小2の3人の娘たちの顔を見、声をかけてから送り出した後、朝食を済ませ、また牛舎に戻り仕事を続ける。その日によって牛糞(ふん)出し、堆(たい)肥の切り返しや、水田、野菜の管理と、次々に仕事が待っています。夫が欧州農業視察(農協青年部)に出かけて2週間も留守の今は、特に牛の肥育管理に神経をとがらせています。

農業は私の天職

 結婚して13年、20歳で嫁いできた私が、専業農家の嫁、牛飼いの女房として、われながらたくましくなったものです。今では牛の独特なにおいも、人間の体臭と同様気にならず、牛糞をショベルで積むことなどは朝飯前。トラクターでもコンバインでも、自動車に乗るように使いこなしています。
 同じ筑紫野市内で、農家の3女として生まれ育った私は、物心ついた時から田畑で働く父と母を見てきました。父は若いころに両親を失い、兄妹の面倒を見ながら農業を継いだそうで、私には農業がつらい仕事とか、嫌な職業というイメージは全然ありませんでした。それは、両親が意欲や夢を持って農業に取り組む姿勢をいつも見せていたからだと思います。
 中3で進路を決める時も、何の迷いもなく農業高校を選びました。当時、農業高校に進学するのはほとんど家業を継がねばならない男子。夫もそのうちの1人で、私の先輩になります。卒業後は、希望通り家で両親の手伝いとして就農。そして4Hクラブ活動で知り合ったのが今の夫です。
 夫は当時すでに肥育牛100頭余りを飼っていて、両親がやってきた農業経営とは違った部門に夢を託し、希望に溢(あふ)れていました。それだけに、若い後継者の中でも特にやり手といった感じで、少なくとも私の目には映りました。

家庭教師に恵まれて

 まだ、未熟だった私にとって、夫と新しい両親の3人が”先生”役です。牛飼いの先生、田畑づくりの先生、家事・育児の先生。24時間、365日、休みなし、授業料無料で教えてくれる家庭教師と思えば、怒られても、落ち込んでも回復は早いもの。専業農家の嫁として、私を今日まではぐくんで成長させてくれた両親を、私は心から尊敬しています。
 正直言って、つらい思いをしたこともありましたが、世に言う嫁・姑(しゅうとめ)のいじましい関係などとは、今もってわが家とは無縁です。農家では嫁を労働力としてしか扱わないというのは昔の話です。女性がじっと我慢して支えるような農業では、これからの発展は望めないし、自分の意見を持ち経営を支える立場で話し合う中からしか、将来への道は開けないと信じます。
 わが家では、朝食の度に1日の作業の手順から方法、分担まで話し合います。家族みんなの力で農業は成り立つんだという基本的理念は、私が嫁いできた日から、三宅家の鉄則なのです。

支え合う仲間たち

 理解ある家族と共に、わが家がもうひとつ心のよりどころとしているのが「つくり会」というグループです。かつて4Hクラブで活動した農業後継者の若妻13人で12年前に結成。当時はみな22、3歳で、授乳児を抱えていました。メンバーの中には、さまざまな悩みを持った人がおり、それぞれが農業生活の矛盾に1人胸を痛めていたのでしょうか、結成当初は涙をこぼし合っての話が尽きませんでした。同じ立場にある者同士の共感と心情がせきを切ったように私たちのきずなを強くしたものです。
 数年もすると、私たちのグループ活動は徐々に地域に認められ「あのグループにはいると、若妻たちの農業へのやる気が変わるようだ」と、兼業農家の若妻2人が入会を希望してきました。今やこの2人は、専業農家並みに、外で働く夫に替わって頑張っているほどです。
 この間に援助を受けた普及員さんから「農業生活の良さに胸を張って、前向きに生きること。どこでもいつでも物の言えるような農家主婦の手本になるように」と励まされ続けてきました。このつくし会の活動の中で、自分たちの生活記録を何らかの形で残そうと始めた文集”つくし”も第9号を重ねました。くわよりペンは苦手、と言いながらも書き綴った文集には、日ごろの率直な生活感情、農業と家庭を守る名もない女性たちの真意が溢れており、私たちの成長を記す何よりの宝物です。

複合で成り立つわが家の経営

 わが家の経営内容は、肥育牛150頭、水田2.9ヘクタール、麦4ヘクタール、冬どりキャベツ20アール、グリーンアスパラ10アール、それにお茶を少々栽培しています。労働力は両親と私たち夫婦だけですから、現在の規模が精いっぱいです。米麦の作付けは、期間借地で拡大を図ってきましたが、60歳代も半ばに近い両親のことを考えると、耕種部分はもう増やせません。わが家の方針として、借りた田は自作に優先して手入れ作業を行い、持ち主が安心して貸してくださるよう特に丁寧に扱っています。
 それに、ただむやみに規模拡大を繰り返したり、近代的設備を追いかけることには、抵抗があります。私たちは百姓らしい心を見失いたくないと思っているのです。
 経営の大黒柱は肥育牛。本来ならこれだけで十分食べてゆけるはずなのに、今の情勢では安定した経営はとても困難です。枝肉価格の長い低迷、素牛価格の上昇、機械設備費が増える中で、円高差益還元による飼料価格の値下げはちょっぴり救いとはなりましたが…。
 何とかしていい肉質の牛を育てたいという夫の方針で、それまでの配合飼料から自家配合に切り替えて、1年半。今年の冬にはおよその結果が出ることでしょう。牛も手を入れて可愛がった結果は、簡単には出ないものです。焦らずじっくりと観察し、目先のことばかりに目を奪われぬよう心掛けています。餌にしても、1時間ですんでいた配合飼料から、2時間半と倍以上かかる自家配合に踏み切る時は随分迷いましたが、私たちが目ざす肉質の牛を育てるためには、そのくらいの努力は必要だと覚悟しました。毎日の作業量はきつくなりましたが、今のところ、鼓腸症などの事故牛がぐんと減り、何よりも月々の飼料費が30万円ずつ減りました。1日当たりの増体重や、肉質、飼養期間との兼ね合いについては研究中ですが、少なくとも良い方向には進んでいると思います。
 畜産経営は動かす金額が大きいので、ちょっと負債が重なると驚くような金額になります。夫の考え方は”牛の借金は牛で返す”という方針ですから、今までにも、大みそかまで安い子牛を買いに走ったり、1度に40頭も保有してみたり、いろんな方法でピンチを切り抜けてきました。その度に夜も眠れぬような思いをしましたが、過ぎてみるとあの時投げ出さず頑張ってよかったな、と思うことの連続です。畜産経営は野菜などと違って、餌代が取れなくなっても、水だけ飲ませることなどできません。

堆肥部長に昇格

 経営の中でここ数年、私にとって増えてきたのが”堆肥屋さん”の仕事です。注文に応じて発酵させた堆肥を、ダンプで配達しています。農協を通じての注文が多いのですが、最初は恥ずかしくてなかなか「堆肥を持ってきました」と言えませんでした。
 今や全く平気。堆肥を持って行くと、必ずと言っていいほど「こんなにいい物があるとは知らなかった。また頼むよ」と言われます。事実、年々注文がウナギ登り。今では顔なじみのお得意さんもたくさんでき、その筋から新しい声がかかります。農協青年部の役員として、用件の多い主人よりも、私の方がよく配達に出るので、堆肥屋さんは私が看板のようになり、夫から「おまえ、堆肥部長やね」と昇格させられました。
 発酵菌を入れてブロアーをかけ、急激に発酵熱を上げ、切り返す時は湯気で何も見えなくなります。堆肥作り要する敷料費は、年間150万円かかり、堆肥の売り上げではとても及びません。採算性は別として、有機肥料の必要性が叫ばれている現在、いい堆肥を作る努力をし、堆肥部長らしく私の生活の一部にしてゆくつもりです。

農業と言う親の「職業」

 小2の子供が学校の植木鉢に堆肥を持って行くと言ったことがあります。日ごろ私たちが交わしている言葉で、教えずとも子供たちが覚えたのでしょうか。私たち夫婦は、子供たちにはなるべく日ごろから農作業に触れさせるようにしています。牛舎でも畑でも、理屈がわかれば子供たちは結構助手としての役割を果たしてくれます。役に立つと認められれば、子供心に誇りを持つようで、キャベツの種を播(ま)いた子が、収穫の時には驚きと、喜びの表情で手伝ってくれます。土の感情を体で覚えるよう、畑では子供たちを素足にします。
 私たちの住む集落も、昔はのどかな農村でしたが、今は住宅地が増え小学、中学ともに非農家の子供たちが圧倒的に増えてきます。そんな中で、かつて子供が親の職業を農業と書くのが嫌だという話も聞きました。「いったい学校で、農業をどんなに教えているのだろう」と怒りを覚えますが、私たちの子供には胸を張って、親の職業を農業と書いてくれるものと信じています。
 私たちは百姓です。近代的農業とか、先進型農業とか格好のいい呼び方はいりません。ただの百姓でいいんです。土と牛を育てて家族みんなで暮らしていける収入が得られるなら、それで十分幸せ。都市化地域のため、農地を手放せば億単位の金が入ることも、見たり聞いたりしています。しかし、私たちの地域では、何とか農地を守り農業で暮らしていこうという同世代の仲間も頑張っています。
 百姓で金もうけをしようと思うこと自体に無理があります。私は家族みんなが健康で人間らしく暮らせることをモットーに、土作りを通して地域に貢献し、私たちの農業経営を地域に根をおろしたものにしたいと思っています。

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